2020年6月9日火曜日

冷しラーメン「雪花」:会津坂下町〜猪俣公章と廣木酒造との出会い

駐車場が見当たらないため、車を降りて、お店に尋ねると、
向かいの役場の駐車場を利用するようにとのこと。
駐車場の入口に「猪俣公章 生誕の地」とあり、気になったので調べると作曲家であることが分かった。

旧制京都帝国大学工学部電気工学科出身で東北電力勤務の父と、福島市内で料亭を経営する母の間に生まれた。

小学5年生の頃から作曲をするようになり[1]、中学時代に作曲家を志望する[1]。中学卒業後は上京して開成高校に進学。高校卒業後は実家の家計が苦しくなったため、入学金を稼ぐために1年間の浪人生活を選ぶ。喫茶店のボーイ、ペンキ職人、バーテンダーなどで入学金を稼いだ。

1958年日本大学芸術学部音楽科へ入学[1]。入学後は新橋[要曖昧さ回避]銀座キャバレーでバンド演奏のアルバイトを務め、ベースを担当。大学3年次の1960年古賀政男が設立したプロダクションにスタッフとして採用され、事実上の門下生として師事。大学卒業後の1962年ビクターレコードと契約。

1964年、鈴木やすし『僕の手でよかったら』作曲家デビュー[1]1966年森進一のデビュー作にしてヒット作となった『女のためいき』を作曲、その後も森に『港町ブルース』『おふくろさん』『冬の旅』などの大ヒット曲を提供する。他にもテレサ・テン『空港』、藤圭子『京都から博多まで』『女のブルース』、水原弘『君こそわが命』、五木ひろし『千曲川』など、数多くのヒット曲を提供して成功を収めた。

1991年に19歳年下の一般女性と結婚し一子をもうけるも[1]、、1993年肺がんのため死去した[1]。55歳没。晩年は坂本冬美マルシアを弟子入りさせ、自らの家に住まわせて育成したことでも知られる。なお、猪俣は生前歌手だけでなく、里村龍一冬樹かずみ等々、音楽作家の育成にも力を注いだ。

会津坂下町では、一年中「冷やしラーメン」が食べれる、この店も町の推奨てんだ。
メニューより、「冷やしラーメン」と「冷やし塩ラーメン」を頼むことに。
サッパリして、飽きこない。
美味しく頂きました。
戻る途中で、全国的に有名にな「飛露喜」醸造元、 廣木酒造酒造を発見。
買おうと思ったら、品切れでした。

 雪花
〒969-6543 福島県河沼郡会津坂下町市中3642